忘れもしない2011年3月11日、あの忌まわしい東日本大震災から5年が経った。あの恐ろしい光景は今でも忘れない。
東日本大震災の当日、何をしていたか
東日本大震災の当日は家にいた。3時少し前、不思議な揺れを感じた。最初は地震だとは気付かなかった。揺れがまるでブランコのようにスイングしていた。これまでの地震で感じた揺れは横に小刻みに揺れるものが多かったので、ゆるくて長い揺れは不思議な感じがした。揺れは1分ほど続いたような気がする。
とにかくテレビをずっと見てた
そしてその後、テレビがパニックになった。安藤優子がヘルメットをなぶりながら、「落ち着いてください」と狼狽していたのが印象的だった。混信していたテレビ局もあった。
その後のおぞましい光景は全て生放送で見た。いろいろなものが波に飲まれていく姿は、現実のものとは思えないようだった。
今は過激すぎて放送できないようなコンテンツもたくさん見た。
原発事故の様子もNHKを通じてずっと見ていた。水素爆発が起こった後から、文化科学部の記者が難しい言葉を使いながらまくし立てるように喋っているのを見て、もしかしたら重大なことが起こるのかと思った。
当時の政府発表だと、「直ちに被害はない」とされていて、NHKにビビりながらもそちらの方の情報を信じてしまった自分が悔しい。
海外の報道もいろいろチェックした。世界的に報道されているのを見て、事の重大さを改めて感じた。
そして1年後、2012年のゴールデンウイーク
東日本大震災から1年とちょっと経った2012年の5月、東北へ旅行したさいに、被災地を見てきた。
被災地を見た時、最初は何が甚大な被害なのか理解できなかった。
壊れ立ててものもたくさんあったが、それよりも更地の部分が大半だったからだ。
いろいろ見て回るにつれ、その更地がかつては住宅街だったり、市街地だったりしたことがわかった。
住宅の基礎は残っていたが、それ以外は全て壊されたということだ。
門扉や一部建物の鉄骨が生々しく残されていた。
端は橋脚を残して全て壊され、すぐ横に別の道路ができていた。
ミサンガを買った
そして、被災地のひとつ、南三陸町で、ミサンガを買った。
震災と津波で使えなくなった漁網をリサイクルして作ったものだという。
東北では多くの人が仕事を失ったため、このようにミサンガを作って売ることで、生計を立てているらしい。
その姿に感銘して、2つ購入した。
あれから5年、復興はまだ道半ば。
いち早い復興を望む。